信じすぎても救われないかも

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信じすぎても救われないかも。
信じて頑張りすぎるから。
やりたい気持ちが義務になる。
そして結果を期待してしまう。
その原因は、依存にあるかも。

 

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信じて頑張りすぎるとどうなる

自分のやりたいことを決めたらところんそこに向けた努力を
重ねていきます。

 

なんとか頑張って、やりたいことをやり遂げようとします。

 

自分自身に、

 

「必ずできる!」

 

と信じてやり遂げようとします。

 

ところが、そんな、

 

「自分を信じる気持ち」

 

が強くなりすぎて暴走してしまうことがあるんですよね。

 

信じる気持ちが暴走するといったいどうなるのでしょうか?

 

決めた目標のレベルが高ければ高いほど、自分自身に気合を
入れて自分自身に、

 

「私はできる!」

 

と信じることが大事になってきます。

 

そして、必ずやりたいことを、

 

「達成できる!」

 

と信じています。

 

「やりたいことを完遂させる!」

 

という信じる思いは、自分自身を追い込み頑張るように自分の
お尻に鞭を打ち続けます。

 

 

 

 

信じる気持ちが強すぎると、

 

「やりたい!」

 

という純粋な気持ちから、

 

「やらなければならない!」

 

という強制された気持ちに変化してしまいます。

 

 

 

信じる気持ちは、

 

「頑張る」

 

気持ちに直結していますが、野放しにしておくと勝手に暴走
していきます。

 

そしてせっかく芽生えた、

 

「やりたい!」

 

という純粋だった気持ちを

 

「やらなければならない!」

 

というまるで義務で強制された気持ちに変えてしまうことになり
結局、やりたい気持ちさえも無くしてしまうことになってしまう
可能性があるということなんです。

 

 

 

 

 

信じすぎる危険

自分自身を信じていろいろなことに挑戦するというのは
確かに大事な面もあります。

 

信じる気持ちというのは、やはり何といっても強い原動力
にはなるからです。

 

ところがこの信じる気持ちというのは、諸刃の剣です。

信じる気持ちが強すぎると、

 

「やらなければならない!」

 

と自分を強制させてしまうことになります。

 

 

 

また、信じるという気持ちが他人に向いている場合、
あまりにも信じる気持ちが強く、期待通りにならなかった時、

 

「信じていたのに裏切られた」

 

と逆切れされてしまうこともあります。

 

そんな気持ちが過激になれば、衝突やケンカにも発展して
しまうこともあります。

 

「信じる」

 

という気持ちは、求める結果を

 

「期待する」

 

ことでもあります。

 

だから、相手に期待している時には特に、

 

「信じていたのに!」

 

となってしまいます。

 

 

 

 

自分自身を信じて、何かに挑戦している時でも、

 

「求める結果を期待する」

 

という気持ちになっていきます。

 

ところがやり続けたのに、求めるような結果にならないこと
も出てきます。

 

そうなると、

 

「自分を信じていたのに裏切られた」

 

となってしまい、一気にやる気がプツリと切れてしまいます。

 

信じすぎて、期待を高めすぎた結果、すべてのやる気を無くして
しまうという最悪な結果を招いてしまうんですよね。

 

 

 

 

 

信じても救われません

一般的に伝えられている言葉で、

 

「信じるものは救われる」

 

という表現があります。

 

これはおそらく聖書に書かれていることばから切り取られて
ショートカットして作られたものではないかと思われます。

 

確かにこの言葉通りの一面もあるのかもしれません。

 

ただ、救われているかどうかは、その人の受け止め方次第
のような気もします。

 

いずれにしても、この短い一言で表現できるような単純なこと
ではないような気がするのです。

 

 

 

 

自分を信じたり、他人を信じるというのは確かに大切な行為
ですよね。

 

でも、信じる気持ちが過度に働きすぎると、

 

「期待!」

 

という新たな気持ちが膨らんできます。

 

ではどうして、そんな期待する気持ちが出てきてしまうのでしょう。

 

それはおそらく、

 

「依存」

 

から生まれてくるのかもしれません。

 

そもそも信じるという気持ちは、自己責任ですので、本来、依存
する気持ちなど生まれようがありません。

 

なぜでしょう?

 

 

 

 

他人の場合、本来、他人を信じるというのは自分自身の気持ちだけの
問題で自己責任のはずです。

 

でもいつの間にか、他人にその気持ちを預けてしまって依存して
他人の責任として押し付けてしまっています。

 

では、自分の場合はどうでしょうか?

 

本来、自分自身のことだから自己責任として片付けられて期待など
ありようもないはずです。

 

ところが、信じるという行為をするとき、本来いないはずのもう一人の
別人格の自分が現れてきます。

 

別人格の自分というのは、

 

「やりたいことを成し遂げた」

 

もう一人の自分自身、つまり想像で作り上げた自分です。

 

本来、今の自分に対して自己責任として片付ければ何の問題もない。

 

ところが、

 

今の自分じゃなくて、未来の自分に対して、いつの間にか依存して
未来の自分の責任として問題を投げてしまっています。

 

だから、

 

「こんなに努力したにも関わらずできなかった」

 

という悲観した気持ちになってしまいます。

 

出来ると期待していた自分自身に裏切られたという喪失感でやる気
さえも失ってしまいます。

 

 

 

本来、今の自分自身の責任としてやれていれば、決してあきらめる
ことはありません。

 

志半ばであきらめてしまう原因は、やりたいことを成し遂げた未来の
自分に依存しすぎて失望感を抱いてしまったからなんですよね。

 

だから、大事なのは、

 

やりたいことを達成した未来の自分を信じるんじゃなくて、

 

今の自分自身を信じること!

 

でも、期待して依存するスイッチはすぐに入ってしまうので
要注意です!

 

 

 

 

記事のまとめ

信じる気持ちが強すぎると、やりたい気持ちが義務感に変わってきてしまいます。
やることが上手くいかなくなると、期待通りにいかなかったという気持ちになる。
自分自身を信じる気持ちが、いつの間にか結果を期待する気持ちに変化していく。
そして、気持ちと結果のバランスが崩れてきて、自暴自棄になってしまいます。
大事なのは、今の自分自身を見失わずにすべて自己責任と受け止めることです。

 

 

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