一面に広がる海は空想。
それは手に入らないもの。
広大に広がる砂浜は情報。
自分にとっては意味がない。
浜辺の貝殻を見つけて!
手に入らない海
岸から海を眺めてみる。
広く一面に広がる海は、どこまでも続いていきます。
「海の向こうには何があるのか?」
そんなことをぼ~と考えたりもします。
大きな海は、景色として、目に焼き付けることは
できますが、手に入れることはできません。
目を閉じれば聞こえてくる波の音も、浜辺の
近く出なければ聞くことができません。
海は決して、
「自分のもの」
として手にれることはできません。
海の情景を思い出すことぐらいしかできません。
それは、自分自身で想像する空想と同じような
ものかもしれません。
- やってみたいこと
- 行きたい場所
- 挑戦してみたいこと
- 大きなことを成し遂げた未来
- お金持ちになった夢
未来を思い描く夢は、現実には手に入らない空想
なんですよね。
空想をどれだけ見ても空想にしかなりません。
絶対に自分には手に入らない海と一緒です。
思い描く空想は、自分自身でもどこか遠い世界
にあるものだと思っています。
「今の自分には手に入らない」
と無意識に思ってしまているのかもしれません。
「今の自分とは違う次元を超えた空想」
そんな空想どれだけ思い描いたところで、現実に
なるわけがないですよね。
広い砂浜
海よりももう少し近い位置にある砂浜は
どうでしょうか。
砂浜なら、自分の足で踏める場所です。
手に取って集めようと思えば集めることが
出来るかもしれません。
けど、一人で砂浜全部拾い集めることは、
さすがにできません。
だって、とてもどこかに収まるような量
じゃないですよね。
浜辺に広がる砂浜は、確かに自分で触って
掴めるものです。
海のようにはるか遠くまで広がって手に
入らないものとは違います。
でもその量は、無限大とも思えるような
とてもたくさんの量です。
それはまるで、
この世の中に無限にある情報
みたないものですよね。
世の中に無数にある情報も1つ1つは簡単に
拾い集めることはできます。
でも、情報すべてを吸収することなどさすがに
できません。
それに情報は、さまざまな情報と関連している
場合があります。
広くつながる砂浜のように、一角だけ抜き取っても
本来の意味をなさなくなってしまいます。
そして、砂浜は常に波によって変形していきます。
寄せては返す波によって独特な造形を一瞬つくり
出してまた変形させていく繰り返し。
情報も同じで、時間とともに常に情報は変形して
いくんですよね。
そして、旬な情報だから意味がある。
情報の発信元だから意味があり、その情報を抜き
取った時点で賞味期限が切れてきます。
浜辺の貝殻
浜辺に転がる1つの貝殻はどうでしょうか。
手に取った貝殻は、まさにその1つしか存在
しないものです。
浜辺には、無数の貝殻が落ちていますが、
形、大きさや柄など同じものはありません。
そして、それぞれがまったく固有のもの
なんですよね。
貝殻は、自分の足もとにあるものです。
そして、手に取って自分の所有物にできる
ものなんですよね。
「浜辺に落ちている貝殻」
それは、自分自身の中にあるものです。
海のようにはるかかなたの空想の世界じゃ
ありません。
浜辺の砂浜のように、無数にある変化する
情報でもありません。
唯一、自分自身の中に存在するもの。
それは、
「自分の個性」
です。
自分という人間が生きている限り、必ず
他の人にはない個性があるハズです。
そして、大事なのは、自分自身の個性を
見つけ出すこと。
そして、その個性を磨いていくこと。
浜辺に落ちている貝殻も、そのまま拾った
状態のままでは魅力ないかもしれません。
貝殻を磨き金具で加工してみれば価値のある
アクセサリーの出来上がりです。
自分自身の個性も同じこと、ただ個性を発見
しただけでは、そこに価値はありません。
その個性を世の中のために生かすことによって
はじめて価値が生まれます。
そのために、個性に磨きをかけることが必要に
なってくるんですよね。
でもまずは、個性を見つけることからでしょうか。
そしてそれは、貝殻を見つけるように
自分の足元
を見つめなおしてみる。
そうすれば、案外簡単に見つかるかもしれませんよ。
記事のまとめ
広く一面に広がる海は、はるかかなたまでどこまでも続きます。
それはまるで頭の中で描いた空想で手に入らないものなんです。
広い砂浜は、身近にありそうだけど、無限な情報のようなもの。
足元に落ちている貝殻は、自分の手で価値を高められるもの。
そしてそれは、自分の中にある個性も同じことなんです。
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